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松下勝太郎 抜粋

葬儀の風習さまざま わたしの研究と蒐集 文人たち
     

葬儀の風習さまざま ~つきまとう迷信はいずこも同じ~

15歳で家実を継ぐ
どこやらの広告に「あなたの家にあってはならぬ、この世の中になくてはならぬ葬儀と式典」とかいうことばが見受けられたが、私はこの仕事を十五歳のときから六十二歳になる今日まで、五十年近くも続けてきた。十五歳という小僧のような若さで始めたのは、その年に父に死なれ、やむなく家業を継がねばならなかったからである。
そんな弱小の身で人生の大典、葬儀の采配をふるうのは、何かにつけて不便であった。特に、私が若くて、いろいろなしきたりや法制を知らないという点である。
父はすでにいないし、私はそれらをどうして学べばよいか。先輩や知人にもずいぶん教えをこうたが、結局は私は書物を頼りにした。ここから、私の葬儀に関する種々の書籍、資料収集の道楽(?)が始まったのである。

イギリスは「心服罪」
初めてみると、意外に葬儀の出版物はたくさんある。諸橋轍次先生が「支那の家族制度」という本の中の喪葬編「支那の回礼中、最も複雑かつ広汎なものは喪葬に関する例である、」といわれている通り、実にさまざまで、私はすでに千余冊の書物を集めた。その中で、私がぐずぐずしていられないと、もっともハッパをかけられたのは、四十年前、シカゴの大学生が出した「葬儀の方法と費用、全世界調査」という書物である。その本の中には、もちろん、わが日本の記述もある。驚いたことに棺代いくら、火葬料いくら、霊枢(れいきゅう)車代いくらと細かく、香典については「50セントないし1ドルが相場で、遺族はこれの半額を七週間以内に返済しなければならないタイムリー・ローン(借金)である」と言い得て妙な解説をしている。
書籍の他にも、私は世界各国の墓の写真、葬儀屋の看板、墓碑銘の拓本、葬儀に用いるいろいろな品物なども収集し、今は、喪服のいろいろを、人形を扱って作らせている。
喪服については、一昨年、これを調べるためヨーロッパを旅行したことがある。そのとき、ロンドンに寄って、大英博物館を訪れ、珍しい「心臓葬」の骨壺を見てきた。イギリスでは、十二世紀の頃から、この、日本人の目からみれば奇異な葬法を行なっていたらしい。「心臓葬」とは、心臓をくりぬいて、それを別のつぼに入れて埋葬する方法で、ヘンリー二世や有名な小説家トマス・ハーディーも、一九二八年、この方法によって送られた。イギリスでは、「心臓葬」は国葬級の重大式典といわれる。

無宗教の変わりダネ
大英博物館で骨壺を見ているうち、私は大正十二年の、大杉栄事件を思い出した。ご存じの通り大震災直後、無政府主義者の大杉栄は甘粕憲兵大尉の手で殺され、同年、その葬儀が行なわれた。そのとき、右翼の一青年が乱入、大杉の骨壺を奪い、ピストル2発を撃って逃走したというのである。
私は、書籍収集のほかにも、新聞、雑誌の切り抜きもスクラップしている。新聞記事には、そのときの時代が感じられて楽しい。たとえば、古くは文人斎藤緑雨が、生前に自分の死亡広告を出し、「あんまり道草を食わず、いきなり日暮里(火葬場)へ行こうよ」としゃれたというし、跡見花躁は、生きているのに死亡広告を出されて、あわてて訂正を紙上に出したという話もある。近くは、フランスのデザイナー、クリスチャン・ディオールが死んだとき、日本経済新聞の川柳欄に「当分は、黒”がハヤリと洋装屋」、また大事故があったときは「すがりつく膝なく一人墓を誘う」などの名句が出たりする。
昔から、文人墨客の中には、変わった葬儀をする人が多く、山川均氏は棺の上に写真と著書を置いただけの無宗教、また内田魯庵、平出修氏らも無宗教だった。平出氏の場合は、「告別式」といわずに、「永別式」といったように思う。

無茶な新興宗教信者
現在、ほとんどの人が、「告別式」ということばを使っているが、このことばの創始者は中江兆民だといわれている。最近では、ある新興宗教の信者の葬儀に、私たちの目からみるとやや無茶な方法をとるところがある。たとえば、真夏の酷暑のときには、二日以上経過する場合、棺の中にドライアイスを詰めるのが常識となっているが、その信者たちは「私たちの信仰の力で、決して腐敗させたり、においなども出させぬ。ドライアイスはいらないし」という。
遺体の保存法については、今はドライアイスがあるので便利になったが、日本には、注射一本でも遺体に手を加えることを嫌う考え方があるので、昔はずいぶん困ったろうと思う。

土葬・火葬舗の争い
遺体の扱い方について、わが国では昔から、土葬論者と火葬論者が争ってきた。仏教徒には火葬論者が多く、儒教を説く人たちに土葬論者が多い。江戸時代の儒者であった四国の野中兼山は、土葬論者の最右翼で、そのため、土佐地方では、いまだに土葬の風習が根強く残っている。岡山の熊沢番山も土葬論者で、罪人を火葬にする制度をとって、一般に火葬忌避の考え方を植えづけようとした。なぜ、土葬を強調するかというと、肉親、特に恩ある親の遺体を火で焼くなどというのはけしからん、という儒教の、孝”の思想からだ。火葬のことで、われわれ日本人が外国に行く場合、ぜひ知っておかなければならないことがある。外国は土葬が普通であるから、死者があるとき、その遺体を火葬にするにはそれが本人の意思であるという証明がいる。
そこで、日本人が、旅先でなんらかの事故にあって死去したとしよう。たいていの場合、日本人は遺書を携行していないし、ましてや、火葬に付しても構わぬ、などの念書をもっているはずはない。外国当局は、その遺体に腐敗防止のていちょうな術を施し、そのまま空輸して日本の遺族に返す。この費用が百万円近くになることもあるそうだ。

キリスト教にも迷信
葬儀のやり方は、世界各国、宗教のちがい、文明のちがいによって、それぞれお国ぶりがあるが、どこも変わらないのは、葬儀には種々の迷信がつきまとっていることである。私も、父の後を継いだ当初は、これらの迷信と慣習を調べるのに苦労した。一膳(いちぜん)飯はいけない、座敷の上からはき物をはいて出てはいけないなど、次から次にある。キリスト教でも、男と女で鐘のつき方を変えたり、いろいろあるようだ。
これらの迷信の中で、世界共通なのが、葬儀の行きと帰りの道を絶対同一にしないというのがある。やはり、死者の霊というものを考えてのことだろうか。

小泉先生は友引の日
迷信のことで、最近、私は感心したことがある。それは、故小泉信三先生の葬儀の日のことだ。先生の葬儀は五月十四日、「友引」の日に行なわれた。昔から、「友引」は、友を引くということでほとんど葬儀は行なわれない。たとえキリスト教徒であっても、たいていの日本人はその日を選ばないのが通例であった。私の記憶では日本の名士で、友引の日に葬儀を行なった例は、人類学の鳥居龍蔵先生とこの小泉先生くらいなものである。友引の日を忌避しないというのは、先生のご意思であったかどうか、私は知らないが、それにしてもご遺族の英断に頭の下がる思いがした。死してなお身をもって、日本の迷信打破につくされた。おそらくこれ以後小泉先生がなされたのだから、という理由で、友引の日は意に分されなくなるだろう。

日本経済新聞昭和41年6月9日